赤浜のしおさい ― 小値賀からわたる声(3) 「ひとの来る方へ」
案内所の一日
本シリーズは、2025年初春、五島列島・小値賀島での滞在を通して島の人々にお話を聞いて、その人になり切った自分が書いた記録です。
島に暮らす人、島を離れた人、島にやって来た人。
それぞれの声を、それぞれが語りかける“誰か”に宛てた文章として編んでいます。
「島とは何か」「自分とは何か」——
小さな島の暮らしのなかに、思いがけずそんな問いの断片が浮かび上がることがあります。
07:30 朝、制服に袖を通す
制服のポロシャツを畳んだまま、昨夜のまま置いていた棚の上からそっと手に取る。
アイランドツーリズムのロゴが入ったやつだ。胸元の刺繍はちょっとかすれてきてるし、肩口には洗濯を繰り返した生地特有の柔らかさが出てきた。腕を通すと、背筋がすっと伸びる。毎朝のルーティンだけど、どこか儀式みたいな感じがある。
支給されたのはもう10年近く前。デザインを考えたのは誰だったかな。当時の事務局長か、観光協会にいた先輩か。ちゃんとした記録はない。今となっては、何となく自然に「これがうちの制服です」って顔して、みんな着ている。冬はフリースのジャケット、夏はこのポロ。暑い日には首にタオルを巻いて、外回りに出る。
ただ、最近はちょっと気になってきてる。
観光業って、おもてなしの最初の一歩が“見た目”である以上、やっぱり制服も更新しなきゃなって。私が来た頃はそれなりに新品だったけど、いまはくたびれ感が否めない。実際、今年度から制服のリニューアルを検討する話も出ている。素材、デザイン、動きやすさ、冬の防寒性。たぶん、ちゃんと作るなら予算も必要になる。
…こういう話をしながら、自分がすっかり「現場の古株」みたいな立ち位置になっていることに、ちょっとだけ驚く。
13年前、私は東京在住の会社員だった。渋谷のすぐ隣、池尻大橋に会社の寮があって、そこから通っていた。夜中でもビルの窓は明るくて、セルリアンタワーが一日中光って明るくて、夜はあるのかなといつも思っていた。けど、あるときふと感じたんだよね。
「これは人間らしい暮らしなんだろうか?」って。
そのとき読んだ『島で生きる』みたいな本のなかに、小値賀島の名前を見つけたのがすべての始まりだった。本を閉じたあと、名前の響きがずっと耳の奥に残っていて、ある日思い立って訪れてみた。ちょうど、環境省のエコツーリズム研修の募集が出ていたのも大きかった。たまたま小値賀がその受け入れ先になっていて、それをTwitterで知った。
「呼ばれた」と思った。いや、正確には「とりあえず行ってみよう」と思っただけなんだけど。
そして初めて小値賀に来た日。「もうあなたも島の人」と言わんばかりのスピード感に、思わず笑ってしまったけど、なぜか居心地が良かった。
あの日から、もう13年も経っている。
09:00 「何があるんですか?」の向こう側
案内所の玄関の引き戸は、朝の空気にまだ少し湿っている。鍵を差し込んで、回す。
今日もカウンターの上には、昨日の観光パンフレットと、釣りキャンプのチラシがそのまま置いてある。案内所は小さいけれど、ここが島の「玄関口」だ。修学旅行生が200人来ていた頃も、今みたいに個人旅行者がメインになった今も、この場所はずっと変わらず開いてきた。
200人っていうと、本当に島が“ざわざわする”くらいの人数だった。民泊を総出でやって、受け入れ体制のチェックリストもギリギリまで詰めて。それが今は、高齢化や担い手不足もあって、大規模な受け入れは難しくなっている。今は多くてせいぜい100人、それでも調整が大変なこともある。
けれど、人数が減ったぶん、一人ひとりとの距離は近くなった。
「ここには何があるんですか?」って聞かれるたびに、私は「説明」よりも「案内」をするようになった。パンフレットに書いてあることじゃなくて、今日の海の色とか、港に誰がいるかとか、どのパン屋がもうすぐ焼きあがるかとか、そういうことを伝える。
観光って、要するに「人と人の間にある何か」をどう橋渡しするかなんだと思う。
ここ最近は、少し変わった問い合わせも増えた。
YouTuberとコラボした子ども向けの釣りキャンプ、大学のフィールドワーク誘致 -島の観光は「見る」から「関わる」へ、少しずつ形を変え始めている。
その分、私たちスタッフの仕事も、単なる案内じゃなくなってきている。
事前の調整、スケジュール管理、集落ごとの気配り、自治体との橋渡し。
案内所の窓を開けると、今日も海風が少しだけ吹いてきた。
遠くの港に、釣り客らしき若い二人組の姿が見える。そう思って、カウンター越しにポスターの角を整えて、釣りマップの残部を数えはじめる。
今日も、島の最初の一歩を迎える仕事が始まる。
11:30 静けさを案内すること
昼前になると、観光案内所の空気が少しざわつきはじめる。
今日の午後は、野崎島に行くお客様が3名。前日に電話があって、船の予約とガイドの希望をもらっていた。
野崎島は、小値賀のとなりに浮かぶ無人島。今では無人だけど、かつては集落があって、立派な教会もあった。今はその教会の建築物と周囲の自然、そしてかつての暮らしの痕跡が、ぽつぽつと残っているだけ。人の気配がない分、風や葉の音がよく聞こえる。
施設の管理はうち、アイランドツーリズムがやっている。
島に泊まる宿泊者の手配、清掃、船の時間の調整、ガイドの派遣。小さなNPOだけど、実はやっていることは観光だけにとどまらない。島の文化の記憶を「扱っている」ような仕事でもある。
旅行会社のツアーでチャーター船で直接野崎に行ってしまい、小値賀を一度も経由せず、島を「使って」帰っていった。誰にも会わず、地元の食堂にも寄らず、ただ建物だけを見て帰る観光。そういうときは、今でもやはり悔しく思う。
だから私たちは、必ず「ひと手間かけても、小値賀に立ち寄ってもらう」仕掛けを考えている。昼ごはんだけでも食べていってもらうとか、お土産を買ってもらうとか。単なる経済効果じゃなくて、「島に触れてもらう」機会をきちんとつくることが、大切だと思ってる。
ガイドの持ち物をチェックしながら、ふとそんなことを考えていた。
天気は曇り、風は微風。シカは、今日は出てきてくれるかな。船が港を出る時間を確認して、ゆっくりとタブレットの電源を落とす。
13:30 観光という名の「翻訳」
昼どきになると、島の空気が一段ゆるむ。
港に近い飲食店からは、お味噌汁の湯気が立ちのぼり、漁師さんたちの軽トラがゆっくりと帰ってくる音が聞こえる。私はといえば、案内所のカウンターで、冷めかけた弁当に箸をつけながら、電話のコール音に応じて受話器を取る。
「アイランドツーリズムでございます。」
最近、問い合わせで一番多いのは、「この島に何があるか」だ。
「見るべきスポットは?」「おすすめのグルメは?」
そのたびに、私はちょっとだけ考え込む。
パンフレットに載っている情報だけじゃ、伝えきれない。
むしろ、そこに書ききれない「暮らしの気配」こそが、この島のいちばんの見どころだと私は思ってる。観光案内所というのは、日々小さな「翻訳」の連続だ。
よそから来た人の期待と、島に暮らす人たちの実際。その間にあるちょっとしたズレや齟齬を、言葉や行動で少しずつ埋めていく。
かつては大規模な修学旅行を民泊で受け入れていたこの島も、いまや高齢化が進み、受け入れ可能な家は半分以下になった。衛生面や保険、設備の問題もある。けど、それ以上に、島の人たちの体力や時間の問題が大きい。
「また泊まってもらいたい気持ちはある。でも、布団の上げ下げがもうしんどいんよ」と、あるおばあちゃんがぽつりと言っていたことが忘れられない。
だからこそ、いまは団体よりも小さな単位。3人、5人、あるいは一人旅。そういった来訪者と、より深く静かに関わる方向へ、観光のかたちは少しずつ変わっている。変化というより、調整。リサイズ。でも、そこにはきっと、新しい価値がある。
電話を切ったあと、窓の外を見ると、さっきの若い二人組がレンタサイクルを借りていた。
「どこに行くのかな」と思いながら、自分が最初に島に来た日のことをふと思い出す。
あの日の私は、こんなふうに誰かに案内してもらっていただろうか。それとも、戸惑いながら島の中をふらふら歩いていたのだろうか。
13年経ったいま、私はこのカウンターの内側で、人の流れを迎え、見送り、そしてまた迎えている。島に「何があるか」を尋ねる声に、今日も私は答える。そのたびに、ほんの少しずつ、この場所の意味を編み直している気がする。
15:00 よそ者とつくる記憶
午後の陽射しが傾き始めるころ、集落の公民館の裏庭に、段ボールとロープとカラフルな海ゴミが広げられる。
今日は「うみのバケモノをつくろう」というワークショップをやるのだ。
島の文化事業でやってきたオランダのアーティストたちと、小値賀の子どもたちが一緒になって、流れ着いたプラスチックやロープの切れ端を材料に、不思議なおばけをつくる。
最初にこの企画を聞いたとき、「どうやって島の人に説明しようか」と、正直ちょっと困った。
「アート」という言葉は、こっちではまだ身近なものじゃない。
島の活版屋の桃子さんが間に立って、誠実に説明して、何とか形にしてきた。結果として、最初の年にやった「海ゴミのバケモノ」は、想像以上にウケがよかった。
材料は全部、島の海岸に落ちていたもの。ペットボトルや発泡スチロール、漁具の破片。それを、ただの「ゴミ」として処理するんじゃなくて、「こんなものができるんだ」と、子どもたちの手で形にする。それを見たおばあちゃんたちが、「あんたら、ほんと器用やねぇ」と笑っていた。
島で何かを“始める”とき、いちばん大変なのは、「何やってるかわからん」と言われること。
アートも観光も、外から持ち込まれるものだとしたら、その“異物感”をどう受け止めるか、どう編み込むかが鍵になる。それを強く感じたのが、このプロジェクトを通じてでもあった。
東京の子たちは、よく“島のことを知ろう”としてくれる。
ちゃんと話を聞くし、歴史にも興味を持つし、自分の立場や背景もできるだけ言葉にしてくれる。ときには、私たちよりも小値賀に詳しいんじゃないかと思うくらいだ。
だから、あの海ゴミのおばけは、ただのワークショップじゃなかった。
一緒に手を動かして、笑って、つくったその時間が、目に見えない「関係」として残っていく。
私は観光の仕事をしているけど、本当は“暮らしの交差点”をつくっているだけなんじゃないかと思うことがある。誰かが誰かと交わって、その記憶が残る。
それが、また別の人を呼ぶ。
18:00 片付けと、ひと息つく時間
案内所のシャッターをゆっくり下ろして、カウンターの上に残っていた書類を片付ける。
今日の来訪者は、延べ9人。問い合わせの電話は3件。港で道を聞かれたのが2回、野崎島の予約が1件、そしてワークショップが1本。日によって波はあるけれど、こんなふうに一日が流れていくのが、今の私の日常だ。
観光の仕事って、地味な段取りの積み重ねだ。
ガイドの手配、備品のチェック、パンフレットの補充。制服の洗濯、スタッフのシフト調整。ときどき港に出て、困っている旅行者を見つけたら声をかける。
そのくせ、評価されるのは「何人来たか」や「売上がどうか」という数字ばかりだったりする。
この島において、観光の価値は「滞在」でも「体験」でもなくて、“誰かが誰かに出会う時間”にあるんじゃないかと思っている。
観光が、産業である前に「暮らしの場」と共存するためにはどうすればいいのか。
それをずっと考えてきた13年だった。
初めのころは、ただ来る人を迎えていた。けれど今は、「どうすればこの島を好きになってもらえるか」を無意識に考えるようになっている。
好きになってもらうって、実はものすごく難しい。
それは、たぶん、誰かが心を込めてその場にいて、ちゃんと「あなたが来てくれたことが嬉しいです」と伝えられること。それだけのことだけど、それを毎日続けるのが一番むずかしい。
窓の外では、夕陽が港の水面を淡い金色に染めていた。潮の満ち引きの音、時折聞こえるカモメの声、そして風の匂い。
この島はいつも、私の感情をちゃんと反射してくれる。それが、最初は怖かったけど、今では心地いい。
東京にいた頃は、こんなふうに働き続けている自分の姿なんて、想像できなかった。
でもいまは、たしかにこの島の時間の中に、自分の呼吸が重なっている気がする。
21:00 夜の静けさに包まれて
家に帰って、食器を洗って、お風呂に入って、ようやくひと息つく。
窓を少しだけ開けると、夜の風がカーテンをやわらかく揺らした。遠くで、波の音がかすかに聞こえる。島の夜は静かだ。東京にいたころの、どこからともなく聞こえてくる生活音や車のクラクションの代わりに、ここでは虫の声や潮の満ち引きが、今日一日の終わりを教えてくれる。
そういえば初めて小値賀に来た年の秋、近所の人にもらったゴーヤが真っ黄色だった。
島の暮らしは、不便とも言える日々の手触りがちゃんとある。
魚を釣って、さばいて、食べる。野菜を分けてもらって、お礼を言う。
それはたしかに手間がかかるし、効率とはほど遠い。でも、だからこそ、毎日の中にちゃんと「物語」がある。そういう感覚を、私はこの島で学び続けている気がする。
観光の仕事も、結局は同じだ。
「何人来たか」じゃなくて、「誰が来たか」。
パンフレットに載る情報じゃなくて、その日その場にいた誰かの気配。
そういうものを、静かに編み続けていく作業だと思っている。
この島の未来は、わからない。
人口は減り続けているし、観光だけでどうにかなるわけでもない。
でも、ひとつだけ確かに言えるのは——
ここには「残したい時間」があるということ。
灯りを消す前に、明日のガイド予定をメモ帳で確認する。
明日も、島のどこかで誰かが誰かと出会う。
その場をそっと支えることが、私の仕事だ。
この物語は、ある語りをもとに編まれたフィクションです。
事実の断片から立ち上がった声たちは、誰かのものであり、誰のものでもありません。あなたが知っている誰かに似ていたとしても、
それはきっと気のせいです。
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