赤浜のしおさい ― 小値賀からわたる声(5)「煙の匂いや声の出なかった想い」
- Brettの大工手記
本シリーズは、2025年初春、五島列島・小値賀島での滞在を通して島の人々にお話を聞いて、その人になり切った自分が書いた記録です。
島に暮らす人、島を離れた人、島にやって来た人。
それぞれの声を、それぞれが語りかける“誰か”に宛てた文章として編んでいます。
「島とは何か」「自分とは何か」——
小さな島の暮らしのなかに、思いがけずそんな問いの断片が浮かび上がることがあります。
2025年2月19日 晴
風がやわらかくなってきた。
そろそろ、この島を離れる準備をしなくてはいけない。
たった一年、日本にいてみようと思って来たのに、気がつけばもう16年もここにいた。
小値賀という名前すら知らなかった島で、僕は家を直し、道具を拾い、薪を割り、毎日火を起こしていた。
小さな木槌がある。集落の古い古民家の片付けをしていたときに、埃まみれの棚から出てきたやつだ。
最初は重さの加減もわからず、ぎこちない手つきで梁を叩いた。けれどあるとき、ぴたっと木がはまり込んで、音が吸い込まれるように静かになった瞬間があった。
あのとき、自分の中で何かが少し変わった気がした。
島に来たばかりの頃は、日本語がほとんど話せなかった。携帯の契約ひとつ、手に負えなくて、英会話の仲間にお願いして電話をかけてもらった。
役場の手続きも、銀行も、全部が難しかった。でも、島の人たちは、そんな僕を放っておかなかった。
伝わらない言葉よりも、伝わろうとする手つきやまなざしを大事にしてくれる人たちだった。
Ⅰ 手で暮らす
島での暮らしは、すこし不思議なリズムがある。
朝は七輪の火をつける音からはじまり、屋根裏にのぼって梁を点検して、午後には竹林に入り、夕方には土を練る。夜には火を眺めながら、今日一日、自分の手が何をしていたかを思い返す。
その日手に取った道具のひとつひとつが、僕をこの島に繋ぎとめていた。
誰かが使わなくなった古い鑿や槌を譲り受けて、それを研いで、また次の現場で使う。そうやって、道具にも記憶が宿っていく。
僕が磨いた跡と、誰かが残した傷とが、一本の線のように重なっていく感覚が好きだった。
この島では、材料も道具も、できるだけ近くのものを使う。
島の松でできた梁は、まっすぐじゃない。でも、そのいびつな形が、天井の曲線をつくっていく。
石は上五島から運ばれたやつもあれば、この島から削り出したものもある。昔は、野崎島から家ごと移築するようなこともあったらしい。
島の家は、暮らしのかたちをそのまま引きずっている。
醤油を仕込んでいたであろう壺の跡、土間に残ったすすの匂い。
一つひとつが、誰かの時間だった。その跡をなぞるようにして、家を直してきた。
この仕事が好きだった。刻んだ木が、ぴたっと組み上がる瞬間。
頭の中の線と、目の前の木がぴったり重なるときの、あの小さなよろこび。
でもそれは、都会ではなかなかできない。
小値賀にいたからこそ、自分の手が道具になった
。
Ⅱ 聞かれなかった声
離れることは、仕方のない選択だった。
でも、納得がいっているわけじゃない。
手を入れれば、まだ息ができたはずの家が、雨と風で骨を崩していくのを見てきた。
蟻が柱に入る音は、最初は聞こえない。けれど、気がつくと、もう土台まで空洞になっている。
島には、空き家が山ほどある。でも、「住める家」はほとんど残っていない。
僕の目には、そのどれもが、まだ使えると思えた。
少し直せば、火を入れて眠れる場所になると思っていた。
役場にも何度も足を運んだ。改修の計画を紙にまとめて、提案もした。
でも、あまり届かなかった。
「ああ、また外国人が面倒なことを言ってるな」
そんな空気が、話をしながらじわじわと伝わってくる瞬間が、何度かあった。
僕は日本語が堪能なわけじゃない。
だから、伝え方に無理があったのかもしれない。
けれど、それでも、もう少し早く向き合ってくれていたら―と思う家が、いくつもある。
今はもう、屋根も落ちて、草が生い茂って、誰にも近づかれない場所になっちまった。
そして、忘れられない言葉がある。
去年、町長が議会でこう言った。「LGBTのことは芯から理解できない」と。
その瞬間、胸の奥がひやりと冷たくなった。
わからないなら、わかろうとしてくれたらよかった。
そう思った。
たとえ本心だったとしても、ああいう場所で、そういう言い方をされると、
「あなたたちのことはこの町の外にある」と言われたような気がしてしまう。
この島には、静かに暮らしているクィアの人たちもいる。
その人たちは、あの言葉を聞いて、どう感じただろう。
僕も声を出そうとしたけど、うまく言えなかった。
言葉が口の中で固まってしまって。
余所者だから、うまく伝わらないかもしれないという思いが、先に立ってしまった。
自分の中でうまく整理できなくて、夜、火を見つめながら何度も考えた。
誰がどんなふうに暮らしていても、
ここにいていいと思える場所であってほしい。
この島が、そういうふうに育っていくことを、心から願っている。
Ⅲ 火を残す
小値賀には、都会のような「キャリア」や「正社員の仕事」はない。
でも、火を起こす人は必要だし、木を刻む人もいる。
海の塩を見張る人もいれば、祭りの準備をする人もいる。
誰にも評価されないけれど、暮らしを回す手が、いくつもある。
一日中働かなくてもいい。
一週間に二日、三日だけ手を貸しても、それで誰かが助かる。
そういう、余白のある働き方が、ここにはある。
火を焚いて、汗をぬぐい、風をよけて、夕方にはもう空を見ている。
日が沈んだら、体も自然に休もうとする。
そういう生活の中に、自分の輪郭がはっきり見えてきた気がした。
僕がこの島から学んだのは、ものを残すことだけじゃない。
傷つけない関係のつくり方や、見えない声に気づく方法も、ここで少しずつ覚えた。
だから、言いたい。
この島が、もっと優しい場所になりますように。
「誰かが住んでいい」と言われる場所であるように。
僕自身が、そうしてもらえたように。
倉庫にしまった道具たちが、また誰かの手に取られる日がくるだろうか。
それを願いながら、火を最後まで見届けようと思う。
また戻ってこれたら、そのときは誰かと一緒に、梁を組みたい。
この手が覚えているうちに。
この物語は、ある語りをもとに編まれたフィクションです。
事実の断片から立ち上がった声たちは、誰かのものであり、誰のものでもありません。あなたが知っている誰かに似ていたとしても、
それはきっと気のせいです。それはきっとあなたの気のせいです。
物語の外にいるBrettさんに興味ありましたら、以下のリンクへお尋ねください。
https://www.okibi.jp/




